量子テレポーテーションという言葉を聞いたことがあると思う。
この言葉を聞くと「ついに科学もテレポート技術を視野に入れるところまで来たか!」と思うかもしれない。SF作品で目にしてきたワープが遂に実現するのかと。
しかし残念ながら、この「量子テレポーテーション」は物理的に量子が移動する技術を指しているのではない(テレポーテーションという語が誤解を招く要因になっていそうだ)。
今回はそんな「量子テレポーテーション」について、その内容や実現までの歴史について話そうと思う。
目次
量子テレポーテーションとは
量子テレポーテーションとは、量子もつれという状態を利用して離れた場所に量子状態を転送することを指す。
量子もつれというのは、2つの量子がある相関関係にあることをいう。
スピンを例に取って話そうと思う。スピンとは量子のもつ自由度の1つだ。"自転の向き"のようなものと思ってもらえば良いと思う(実際には異なるが)。
ある電子対が分離して2つの電子になる場合を考える。この2つの電子のスピンは角運動量の保存より、上向きのスピンと下向きのスピンの2つに分かれるはずだ。
ただし、どちらが上向きか下向きかは実際に観測してみないと分からない。どちらかが上向きでどちらかが下向きという相関だけは確定している。この相関が量子もつれだ。
ここで片方の電子を地球に留め、もう片方を別の惑星に移動させてみる(実際にそんなことができるかは置いといて)。
地球にある電子を観測してやれば、もう片方がどんなに遠くの惑星にあろうとスピンがどちら向きか特定できる。
つまり、別の惑星の電子のスピンという情報が、瞬時に地球に伝わったことになる。仮にこの惑星が宇宙の果てにあると考えれば、光速を超えて情報が伝わっていることは明らかだろう。
物理学は「光より速いものは無い」としているが、情報が光速を超えて伝わる状況はこのような思考実験でいとも簡単に生み出せる。
このように、量子もつれを利用すればどんなに遠くの情報でも瞬時に知ることができる。実際に情報が移動しているわけではないが、情報がテレポーテーションしたと捉えても良いだろう。
しかし、これに異を唱えたのがあのアインシュタインだ。
EPRパラドックス
光より速いものがあると認めることは、アインシュタインの提唱した相対性理論を否定することにほかならない。
それもあるのだろう。アインシュタインはポドルスキーとローゼンという物理学者とともにEPRパラドックスというものを提唱した。
EPRパラドックスの内容は、先程説明した量子テレポーテーションの例と全く同じものだ。量子もつれを利用すれば、遠くはなれた所の情報を瞬時に、光速を超えて得ることができる。
これは相対性理論と矛盾している。つまりパラドックスだ!と主張したわけだ。
隠れた変数理論
上記のパラドックスを提唱したことも分かるように、アインシュタインは量子力学に否定的だった(量子力学は間違っている!と強固な主張をしていたのではなく、量子力学が物理現象を完璧に説明できるわけではない、と考えていたようだ)。
そんなアインシュタインは「隠れた変数理論」を主張していた。量子力学は波動関数で量子の状態を記述する学問だが、この世には観測できていない変数があり、それによって物理現象が記述されていると考えていたのだ。
量子力学では、量子は重ね合わせの状態で存在していると考える。例えば電子について考えてみよう。電子のスピンは上向きと下向きのどちらかの状態を取るが、その向きは観測するまで分からない。観測しスピンの向きという状態が確定するまで、上向きの状態と下向きの状態が重なった状態として存在していると考えるのだ。
よくある勘違いとして「本当はどちら向きかどうかが既に決まっているが、それが観測するまで分からない」というものがある。「観測するまでどちら向きかわからないんだから、それを便宜的に上向きと下向きが重なった状態としてるんでしょ?」ということだ。
状態が重なっているなんて日常からはかけ離れた奇妙な考えだから、上記のような日常に根付いた勘違いをしてしまうのも頷ける。しかし、量子力学が言う状態の重なりというのはそのような便宜的なものではない。真に上向きの状態と下向きの状態が重なっていると考えるのだ。
アインシュタインはこの考えを「隠れた変数理論」によって否定した。アインシュタインはこう考えた。2つの状態が重なって存在しているなんてことはあり得ず、実際は何らかの変数によって状態が決定している。観測するまで状態が確定できないのは、我々がその変数を観測できていないだけ、つまり変数が隠れているだけだ、と考えたのだ。
当時の物理学者は決定論的な考えを支持しており、量子力学が示す「世界は確率によって支配されている」ということを受け入れられない者も多かった。
(決定論とは、この世のあらゆる事象の結果はその前に発生した事象によって決まる、と考えることだ。例えば、サイコロを振った結果は一見偶然に見えるが、実際は振るときの速度や角度、テーブルの粗さなどによって出る目が決定される、と考えることは決定論的だと言える。)
そのような者たちによって「隠れた変数理論」しばらくの間支持されるのだが、それを覆したのがベルという物理学者だ。
ベルの不等式
ベルは適当な2つの物理量の相関\(C\)について、どのような実在論も\(-2<C<2\)を満たすということを導き出した。
(実在論は「そこに物は実在している」という考え方だ。目に見えない超常的な何かが影響することはないと考えること、とも言い替えられる。)
ただ、このままだと意味が分からないと思う。ベルの不等式が提案された時代の人たちも同じことを思ったのか、後に様々な形のベルの不等式が提案されている。その中で最も分かりやすいのはこれだろう。
$$P(A \cap B)≦P(A \cap C)+P(\overline{C} \cap B)$$
式だけだと意味が分からないので図で表していくことにする。まず\(P(A \cap B)\)はAとBという集合の共通部分を表している。
同様に\(P(A \cap C)\)はAとCの共通部分を表している。\(P(\overline{C} \cap B)\)はCでない部分とBの共通部分だ(\(\overline{C}\)の上のバーはC以外の部分を表す記号になる)。
よって、先程の\(P(A \cap B)≦P(A \cap C)+P(\overline{C} \cap B)\)という数式を図に変換すると以下のようになる。
図で見てみると、\(P(A \cap C)\)の部分は\(P(A \cap C)\)と\(P(\overline{C} \cap B)\)によって別々に補われているので、この数式が成り立つことがすぐに分かる。
ベルはこの関係がどのような実在論にも当てはまると主張した(まあ図で見てみるとそんなの当たり前という気もするが)。抽象的とも言えたアインシュタインの主張が、数式で表されたわけである。
上記のような式を提唱したベルだったが、本人はアインシュタイン寄りな考えだったらしく、アインシュタインの主張を正しいと言うためにこの式を導き出したらしい。
しかし皮肉なことに、この式を導き出してしまったがゆえに、この世は実在論では説明がつかないということが証明されてしまう。
ベルの不等式の破れ
以下のような実験装置について考える。
中央の「発射装置」は左右の観測装置(青と赤の円盤)に電子を発射する装置だ。この観測装置では電子のスピンを測定する。
電子のスピンは上向きか下向きかのどちらかで、例えば青色の位置Aで上向きのスピンを観測したとき、反対側、赤色の位置Aで上向きのスピンを得る確率は100%になる(ただしこの場合、2個の電子の角運動量の合計は0と仮定している)。
このとき、両者で上向きのスピンを観測する確率は、測定値の角度差\(θ\)を用いて計算することができる。例えば位置Aと位置Bで上向きのスピンを観測する確率は以下の式で表せる。
$$P(B|A)=\frac{P(A \cap B)}{P(A)}=\bigg(\cos{\frac{θ}{2}}\bigg)^2$$
ここで\(P(B|A)\)は\(A\)が起きたときに\(B\)が起きる確率を表している。Aで上向きのスピンを観測したときに、Bでも上向きのスピンを観測する確率を表した記号というわけだ。
今回、位置Aと位置Bの角度差は60°なので、確率は以下のように計算できる。
$$\bigg(\cos{\frac{60°}{2}}\bigg)^2=\bigg(\frac{\sqrt{3}}{2}\bigg)^2=\frac{3}{4}$$
つまり75%の確率で、位置AとBの両方で上向きのスピンを観測することになる。\(P(A)\)は当然\(\frac{1}{2}\)なので、\(P(A \cap B)=\frac{3}{8}\)、つまり37.5%だ。
Cについても同様に計算してみよう。今度はAで上向きのスピンを観測したときに、Cでも上向きのスピンを観測する確率を計算する。AとCの角度差は120°なので、以下のように計算できる。
$$\bigg(\cos{\frac{120°}{2}}\bigg)^2=\bigg(\frac{1}{2}\bigg)^2=\frac{1}{4}$$
よって\(P(A \cap C)=\frac{1}{8}\)、つまり12.5%となる。
続いて反対方向の場合について考える。Cの反対方向を\(\overline{C}\)で表すことにすると、Cの反対方向とBの角度差は120°なので、以下のように計算できる。
$$P(B|\overline{C})=\frac{P(\overline{C} \cap B)}{P(\overline{C})}=\bigg(\cos{\frac{120°}{2}}\bigg)^2=\frac{1}{4}$$
よって\(P(\overline{C} \cap B)=\frac{1}{8}\)、つまり12.5%となる。
上記の結果をベルの不等式、\(P(A \cap B)≦P(A \cap C)+P(\overline{C} \cap B)\)にあてはめると以下のようになる。
$$37.5≦12.5+12.5$$
見て分かる通り、式が矛盾している。これは計算間違いなどではなく、量子力学はベルの不等式を破っているということを示す結果なのだ。
この結果は実験によっても確かめられている。1982年にアラン・アスペという物理学者が実験を行い、ベルの不等式が破れていることを示している。
(ただこのアスペの実験結果を不完全なものだと主張して認めない物理学者も未だにいるらしいが…)
つまり実在論では説明できないことがこの世にはある。それが量子力学だということだ。
まとめ
まとめると
- 量子テレポーテーションは量子もつれを利用した情報転送のことで、光速を超え情報を転送できる
- アインシュタインは光速を超えることが相対性理論と矛盾すると指摘した
- アインシュタインの提唱した矛盾をベルが数式に落とし込み、ベルの不等式として提唱
- 後にベルの不等式が破れていることが証明され、実在論では説明できない現象があることがわかった
という感じだ。ベルの偉大なところは、この世の物理法則は実在論で説明できるか?という哲学的とも言える問いを数式にして提唱したことだろう。
それによって、この世には実在論では説明できないことがあることが分かった。科学の発展によって超常的な現象の真実が徐々に明らかになっているが、まだまだこの世は不思議なものだ。