誰しもが自分の存在意義について一度は考えたことがあると思う。大抵の人は中学生くらいで経験するだろうか。
自己啓発書なんかではその意義からどう生きるかについて語っていくと思うが、今回話したいことはそのような意識の高いことではない。
私達が存在していられるのは、究極的には物質が存在するからであると言える。物理学はその「物質が存在するということ」自体の謎を解き明かそうとしている。
今回はその物質が存在する理由について話していこうと思う。
目次
物質の誕生
私達の日常は物質で溢れている。私達はこれを当たり前のこととして受け入れているが、物理学においてはかなりすごいことだったりする。その理由は宇宙の最初期に遡ると見えてくる。
宇宙はビッグバンによって誕生した。ビッグバンによって急膨張した宇宙は、その膨張のエネルギーから多数の素粒子を瞬時に生み出した。これは宇宙が誕生してから10^-10秒までの間のできごとと言われており、想像もできないくらい瞬間的なことだった。このときに多数の粒子と反粒子が対生成されたと言われている。
反粒子とは、ある素粒子と質量などは同じだが、電荷などの正負が逆転している粒子のことを言う。例えば電子の反粒子はプラスの電荷をもつ陽電子だ。この2つの粒子は質量が全く同じだが、電荷の正負だけが逆転している。
そして対生成とは、エネルギーから粒子と反粒子が生成される現象のことを言う。
エネルギーから粒子が生まれるのは不思議な気もするが、アインシュタインが質量とエネルギーは等価であると言っていたことを思い出すと納得できるかもしれない。エネルギーが形を変え質量を持つ粒子になったとでも言うべきか。
対生成はその名の通り粒子と反粒子が対になって生成されることなので、当然生成される個数は同じになる。この生成された粒子たちは、その後対消滅という現象を起こす。粒子と反粒子が衝突し、エネルギーが発生する。対生成とは逆の現象だ。
対生成によって生まれた同数の粒子と反粒子が対消滅していくわけだから、最終的には粒子が1つも残らないと思える。しかしどういうわけか、宇宙の最初期に行われた対生成と対消滅の繰り返しの中では、物質の方が多く生成されてしまった。
「されてしまった」という過失のような書き方をしたが、このとき物質が多く生成されたおかげで今日の物質社会が存在している。偏りが生まれるよう物理法則を作った神に感謝でもするべきだろうか。
なぜ物質の方が多く生成されたか
ではなぜ物質の方が多く生成されたのだろうか。これにはCP対称性の破れが関係している。まずCP対称性について説明する。
CP対称性のCはCharge変換のことを意味する。Charge変換とは電荷を正反対にするような変換のことだ。例えば電荷がマイナスである電子を、プラスの陽電子に変えるような変換のことを言う。
それに対しPはParity変換のことを意味する。Parity変換は座標の符号を逆にする、つまりは鏡写しにするような変換のことだ(詳しくは以下の記事を読んで頂ければと思う)。
多くの物理学者は、この世の粒子は上記のCharge変換とParity変換において、対称性が保存されていると考えていた。
このままでは文面の意味が分からないかもしれない。要は「この世の粒子は電荷を逆にしてさらに鏡写しにしても同じ物理法則に従うはず」と考えていたのだ。なぜなら、そう考えるほうが物理法則が美しく見えるからだ。
しかし、その考えはすぐに否定されることになる。上で紹介した記事にも書いているが、1957年にウーという物理学者によってパリティ対称性が破れていることが実験によって確かめられる。
「パウリの排他律」で有名なパウリなんかはこの実験結果が信じられず「私は神が左利きだとは思わない」と言ったらしいが、その後再現実験が繰り返され、この実験結果が真であることが分かる。
「鏡写しの世界が対称でないなんて美しくない!」と多くの物理学者は考えていたので、代替案が考案された。それがCP変換である。パリティだけでなく、電荷までも反転してしまおうということだ。
実際、ウーの行った実験は、パリティ変換に対して保存されないが、CP変換に対しては保存されることが確かめられた。当時の物理学者たちは安堵したことだろう。「パリティ対称性は保存されていなかったが、CP対称性は保存されていた。やはり物理法則は美しい!」とでも思ったのではないだろうか。
しかしそれも束の間、1964年にクローニンとフィッチという物理学者によって、CP対称性も破れていることが確かめられる。
小林・益川理論
クローニンとフィッチらはあるK中間子の崩壊を観測することでCP対称性の破れを確認した。実験でCP対称性の破れが確認されたのだから、残すは理論の確立のみである。
そんな中、日本人の小林誠と益川敏英がある理論を提唱する。その理論は「クォークが3世代以上あれば、CP対称性の破れを理論的に説明できる」というものだった。
クォークは素粒子の分類の1つだ。現在3つの世代があることが確認されているが、小林・益川両氏が理論を提唱した当初は、第2世代までしか発見されていなかった。
クォークが3世代以上あると、その状態を記述するのに複素数が必要となる。これがCP対称性の破れの起源となるという。
この理論が提唱された当初は、第2世代のチャームすら見つかっていなかったので、そんな状況下で現れた「第3世代のクォークが存在する」という主張はかなり突拍子もないものと捉えられたようだ。
しかし、その後の実験により、未発見だったチャームに加え、小林・益川両氏の予言通りトップ・ボトムクォークまでもが発見される。彼らの理論は正しかったのだ。
これらの理論は今日では小林・益川理論と呼ばれている。両氏の功績は揺るぎないものとなり、2008年にはノーベル物理学賞を受賞した。
残された課題はニュートリノ
小林・益川理論によりCP対称性の破れの理論的な説明がなされた。
これにより物質と反物質の差もある程度は説明できるようになったのだが、それだけではまだ足りない。この世の物質の多さを説明し切るには、小林・益川理論だけでは足りないのだ。現在、ニュートリノがその謎の最後のピースとして、研究が進められている。
ニュートリノも素粒子の一種だ。しかし、ニュートリノのCP対称性が破れているかどうかはまだ分かっていない。
もしニュートリノのCP対称性の破れが大きければ、クォークと合わせて、この世の物質の多さを説明しきることができるかもしれない。
それはこの物質社会がなぜ誕生したかを説明すること同義だ。この世の神秘がまた1つ紐解かれる日はすぐそこだろう。
最後に
というわけで、反物質とCP対称性の破れについて説明してみた。
素粒子の世界はスケールがミクロすぎるので、日常の感覚とはかけ離れている。その世界を想像することすら困難だ。
しかし、その世界の本質を追求することが、この世の成り立ちを説明することにつながる。改めて物理学は神秘的かつ興味深い学問だなと思う。