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【漫画レビュー】吃音症の少女が自分を見つける青春譚「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」【感想】

2021年1月24日

今回は「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」という漫画を紹介します。

可愛らしい女の子が表紙ですが、ストーリー自体はけっこう重めです。それは表紙の主人公の女の子が吃音症を患っていることに起因します。

吃音症の少女が周りにからかわれ辛い思いをするので、共感性羞恥心の度合いが強い方は読むのが中々辛いかもしれません。

著者の押見修造さんも吃音症で自分自身の経験を元に描かれたとのことなので、からかう同級生の様子なんかがやけにリアルなのはその経験から来ているのかもしれません。

とまあこの作品の暗い部分をつらつら書いてしまいましたが、ストーリーの中で主人公の志乃ちゃんが成長していく描写や、それを取り巻く友人との関係の変化は必見です。

冒頭で溜まった負の感情を最終話で解放するストーリー構築はありきたりかもしれませんが、得られるカタルシスは名作と呼ぶに相応しいものだと思います。

タイトル:志乃ちゃんは自分の名前が言えない

著者  :押見修造

出版社 :太田出版

 

目次

 

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」のあらすじ

この春、吃音症を患っている少女である大島志乃は高校生になった。言葉の出だしを上手く話せないことを自覚している彼女は、入学式後の自己紹介に向けて練習を繰り返す。しかし、結局自己紹介を上手く行うことができない。名字の大島が言えず「おっ!…おっ!」とどもる彼女をクラスメイトたちはあざ笑う。

自己紹介での失敗をきっかけに、段々と内向的になっていく志乃。そんな志乃を心配してか、担任の先生はあれこれ言うが、吃音症に理解の無い先生のアドバイスはむしろ志乃の信用をなくすだけだった。

友達のできない志乃は、弁当も校舎裏でひっそりと食べるようになる。志乃がいつものように1人で弁当を食べていると、クラスメイトの加代が現れた。気分良く鼻歌を歌う加代だが、かなりの音痴。その音痴な鼻歌を聞いたことがバレて加代に問い詰められる志乃だが、そこでのやり取りをきっかけに加代と仲良くなる。

2人は文化祭のステージで歌うことを目標に練習するのだが、志乃の吃音症を馬鹿にしていた菊池という少年がそこに近付くことで、2人の関係に摩擦が生じてきてしまう。

 

感想

まず最初の数話で志乃が高校に入学してから孤立していくまでが描かれるのですが、この描写がけっこうキツイかと思います。

特に上手く自己紹介をできない志乃をからかうクラスメイトの描写はかなりリアルです。高校生って言ってもまだまだ子供なので、無邪気に人のコンプレックスを貶せるんですよね。

引用元:押見修造「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(太田出版)

この後必死に弁解しようとする志乃の様子も若干イタいように映ってしまって、かなりヘイトが溜まる展開になります。共感性羞恥心を感じやすい人はこの辺でリタイア案件かもしれないです。

「悪の華」とか「ぼくは麻理のなか」などの他の押見作品でも思ったんですが、押見先生は共感性羞恥心をくすぐる描写が上手いですね…。

ただ、この辺で負の感情が溜まる分、最後のシーンがより映えて見えるようになります(まあこういうストーリー構築はありきたりと言えばありきたりなんですが)。

 

ストーリーが進み始めるのは50ページを過ぎた当たりですね。

志乃に友達ができたり一時的に疎遠になったりするんですが、主題は友情というわけではなく志乃の成長だと思います。段々と自分と向き合っていく志乃を見ていると、読んでる側も自分について考えられそうになる、そんな力があります。

高校という青春時代って、恋愛とか友情とかそういうのに焦点が当たりがちだと思うんですが、こういう「自分を知る」というストーリーも青春の1つの形で、なんだかノスタルジックな気持ちになります。

自分と向き合った結果、最後に志乃はどのような答えを出すのか。最後のシーンで得られるカタルシスは、前半の負の描写との対比も相まって、最上のものになるはずです。

 

最後に

という訳で「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」の感想でした。映画化しているので、こちらも見たら感想を書こうと思います。

「悪の華」とかもそうだったんですが、押見先生の作品は精神的にキツイ描写が多い割に、読後感が良いのが不思議です。

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