就活していた頃を思い返すと、就活ノートというものを作っていたな、と思い出す。
自発的に作ろうと思い立ったわけではもちろんなかった。就活ムードの中何もしてない自分が不安になったので、とりあえず本屋の就活コーナーで一番売れているらしい就活本を買って、そこに書いてある通りにしただけだ。
その就活本曰く「就活でもっとも重要なのは自己分析」とのことだった。たしかに、自分が人事なら、上辺だけで話している得体のしれない人間は採用しない。
そういうわけで、自分のことを理解してもらうにはまず自分で自分のことを理解することが必要だと思い立ったのだ。自分は今までどういうことをしてきたか、どういう考えを持っているか、そしてそう考えたのは何故か。
そうして理由を考えるうちに、自分の考えの根本のほとんどは母にあるのではないかと、当時の自分は気付いたのだった。母に財布をもらったときのことを例に取り話そうと思う。
母がくれたサイフ
いつだったかもう忘れてしまったが、結構前のクリスマス、母が財布をくれた。
自分の使っている財布がボロボロでみっともないからいい加減新しいのを使いなさいとのことだった。そう言いながら母が渡してきた財布は、イオンで買った2000円の長財布だった。
自分はこの財布を見て、正直腸が煮えくり返りそうだった。もちろんそれを表に出すような馬鹿な真似はしなかったが。
(そのときは母との仲がギクシャクしていたので、それもあって少し感情的になってしまったのかもしれない。)
怒りを覚えた理由
財布、腕時計なんかは身につけている人がどんな人かを表すバロメーターだ。高価でお洒落なものを身に着けている人ほど評価が高い。
正直そんな基準いらないと思っているが、今更世間に根付いたそれを率先して駆逐しようとする気にもならない。だから財布や腕時計はそれなりのものを身につけようと努めている。
当時つけていた時計は父から貰ったもので、大学生がつけるにしてはそこそこ高級なもの。財布もそこそこなものを使っていた。
少し擦れた財布は色褪せていたが、味が出てきたようにも見える。とにかく思い入れがあるものだ。
それをイオンの2000円の長財布で代用させようとした母が許せなかった。母は昔からこうなのだ。人の価値観や思い入れなんかを簡単に無視して安いものを選ぶ。「安物買いの銭失い」な人なのだ。
そんな母を見て思うこと
そういう母を見て育ってきたから「安物買いの銭失い」な人にはなりたくないと思う。だからそれなりのものを身につけたいと思っている。
美容院だってそれなりに値段のするところに行きたい。母は1000円カットで済ませない自分を怒るが、その1000円が5000円の美容院に変わるだけで人の見る目が変わることを知らない。例え結果が同じでもかけるお金が違うだけで評価は変わる。
人間関係だって同じだ。友情を安く買い叩くと結局友人を失うことになる。だから自分は友人にお礼をするときはそれなりに色をつけるよう努めている。
母はそういう人間ではないから「友達へのお礼に飯おごった」というような話をすると金を無駄にするなと言う。自分はそれを聞いてこうはなりたくないと思うだけだ。
でも別に母のことは嫌いではない
こういう話を書くと母のことを相当嫌っているのだろうと思われるが、自分では全くそう思ってない。
父も含め母が自分を育ててくれたおかげで今の自分があり、その恩が到底返しきれないものであることは重々わかっているつもりだ。早く両親に仕事をやめてのんびり暮らしてほしいと思っている。
ただ、母が自分のことをどう思っているかはわからない。幼少期の自分の写真は姉や弟と比べてかなり少ない。母は「忙しくて撮っている暇がなかった」と言っていた。
姉や弟がラインで送ってくる写真や動画では、母は自分が見たことのない面白おかしい行動をとっていたりする。自分は母のことをよく知らないのかもしれない。
最後に
母親ディスのようになってしまった。もう一度言うが、母のことが嫌いなわけではない。
母の思考が、行動が、反面教師として自分の思考を作ったのだなと改めて思う。